【嘘読書】愛するとは、愛を捨てることだ:「嫌われる勇気」
例えどれだけtwitterでネタにしようと、
「会いたくて、会いたくて、震える」のが人間というものだ。
だからこそ、勇気を持ってそれを捨てよう。
我々は結局、愛されることはないのだから。
「嫌われる勇気」は
アドラー心理学とギリシア哲学の「先生」と
その基に来た若き「考える人」の対話形式の物語である。
1. アドラーとギリシア哲学の類似性
アドラー心理学もギリシア哲学も、
人間の生きる価値を考えることに価値を置いている。
その点で実用を追求する、その後の学問より、
観念的であり、より善く生きる=美にその価値を置いている。
「嫌われる勇気」の作者も当然それを理解し、
先生にそうした価値指向を、
若者に目的指向の役割を与えている。
若者の言葉の節々に、「進捗どうですか?」というセリフが使われるのは
まさしく作者の狙いどおりなのである。
2. 善く生きるために-受動から能動へ
愛されると言うのは受動的な行為であり、
しかし、「愛してくれ」と発することは能動的な行為である。
この矛盾性、すなわち、外部に能動的に働きかけ、
自分を受動的にするという行為のはらむ危険性を捨てることを本書では推奨する。
つまり、誘い受けは駄目ってことだ。
残念だったな古代ギリシア+先生(男)+若者(男)=つまり・・・
で、ハアハアしてた諸君。
え、自己紹介はこの辺でいい?マジで?
でもこの本途中で接吻シーンはあるんだよ?
3. 不安に立ち向かうために
「嫌われる勇気」とは大層なタイトルである。
そもそも我々が「嫌われる」ことに対して、不安を持っていること、
勇気を持って立ち向かわなければいけないことを意味している。
さあ、最初の歌詞に戻ろう。
「会いたくて、会いたくて、震える」で我々は良いのだ。
愛されるために、「愛している」と発することも、
愛されるために、会いに行くこともする必要はなく、
「愛される」ことを捨て、同時にその不安に立ち向かうのだ。
その時の震えは決して単なる恐れではない。
それこそ、能動的に愛し、受動的な愛を捨てた、
あなたの勇気ある行動なのだから。
評点
-嫌われる勇気-
(最良5点)
西野カナ度:3
心理学の知識量:1
腐女子歓喜度:0
この読書日記は嘘がそこそこ含まれています。
そこんとこよろしく。